”不安になるほどのリスクを取らないようにしましょう”
”投資対象を複数にしてリスクを分散しましょう”
こうした、相場本にありがちなフレーズに慣れている人は、冒頭から驚かされることになります。なんせ第一の公理には「心配は病気ではなく健康の証。心配なことがないなら十分なリスクを取ってない」とあり、副公理は「分散投資の誘惑に負けるな」なのですから。
第二公理でも、よく言われる「損小利大――利は大きくのばしましょう」とは正反対の「常に早すぎるほど早く利食え」と主張しています。内容の一部を少し詳しく書きますと、「機動力」の項目では「より魅力的なものが見えたら、ただちに投資を中断しなければならない(魅力的なものに資金を移せ)」とあるのですが、これなども数々の投資本で否定されてきた「やってはいけないこと」の一つではなかったでしょうか。
「執着」の項目と合わせて見てみると、著者はこう主張しているかのようです。
「株の塩漬けなどはもってのほか。ナンピンも“引かされ玉を助ける打ち出の小槌”と思われがちだが、仮にそれで救出することができたとしても、そもそも(救済のための)資金投入がベストな選択であったか?いやそうではなかったはずだ、投機の目的を決して忘れるな。引かれ玉を助けることが投機目的ではない。もしあなたがナンピンによってもっとよい投機機会が失われてしまったら、それは大きな損失だ。儲けることこそが真の目的なのだ。もっと全体を見ろ」と。
資金を他の投機対象に向けるという選択肢を忘れてしまってはいないか?と警告しているのです。相場をやっている者でも、いや、その中にいるからこそ忘れてしまいがちな「資金的機動力」について改めて考えさせられます。
長期計画をたてようとする計画好きな輩への忠告でもある「長期計画についてはたった一つでよい。それは”金持ちになろうとする意志”だけだ」というのも印象的なフレーズでした。
また、筆者は「直感」を「軽視」も「盲信」もせず、「識別をしろ」と主張しています。「注意を払うことを忘れなければ、直感は有効な投機ツールになる」と述べ、では直感とはなんなのか?どうしてそれが有効なツールになりうるかを論理的 (?) に説明しようと試みることも忘れていません。このような、説明・位置づけしづらい現象や、心理的なものが起因する「相場で大衆が取りがちな数々の行動」をいい意味での理屈をそえて説明しようとする態度は本書全体を通じて感じられます。
監訳者が後書きで述べている通り、「賛成できるとは言えない部分もある」し、私自身もいくつかの公理はそれぞれが相反するものになっていると感じるところもあります。ですが、それも、そう、ちょうど著者が第十公理で取りあげているデカルトのような懐疑心をこの本にすら適用するような態度で臨めば、きっとそこから得られるものは、読んだことによって被るかもしれない損失(私はほとんどそれは無いと思いますが)を大きく上回るでしょう。
ああ、長々と説明しても徒労に終わりそうです。どんなに詳しく説明するより読んでもらった方が早いですね。とにかくこれは、帯に推薦文を記したラリーウィリアムズが、「版権を買い取ろうと試みた」「いまでも年に一回は読み返す」書籍であり、そして彼に“This is the best book I've ever read on the art of being a speculator.”(投機家である事というアートについて、私がこれまでに読んだ中で最高の本である) と、言わしめた本なのです。
その事実だけで一読する価値ありと判断していいのかもしれません。